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妖刀村正の伝説とは?徳川家を襲うムラマサの呪い

投稿日:2016年11月3日 更新日:

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引用:徳川美術館Facebook

伊勢の国桑名の刀工集団・村正によって作られた「村正」という刀はその実用性と切れ味、美しさから江戸時代まで代々受け継がれてきました。

最近では数々のゲームで武器として登場したり、キャラクターとして描かれたりすることもありますよね。そんな村正には御存知の通り、様々な伝説や逸話が残されており「妖刀村正」として現代でも知られています。

例えば、村正一振りと正宗一振りを川に突き立ててみたら上流から流れてきた葉が村正の方に吸い込まれるように近づき、刀の刃に触れた瞬間真っ二つに切れたとか、村正を研ぐときに誤って手を切ると他の刀とは違う痛みが走るというお話もあります。

しかし、一番世間で恐れられているお話は村正と徳川家にまつわる数多くの伝説です。

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妖刀村正の伝説とは?

村正が妖刀と呼ばれたり、呪いがあると呼ばれる理由はいくつか存在します。

それは徳川家康の祖父にあたる松平清康を殺害した凶器が「村正」であったことや、父・広忠が岩松八弥に襲撃された際に使用された刀も「村正」だったことです。

さらに家康の嫡男である信康が死罪になった際、切腹に使用した脇差も「千子村正」であったということに加え、家康の妻を野中重政が殺害した際に使用された刀も「村正」だったことから、「徳川家に村正による呪いがあるに違いない」と言われていたのです。

また家康自身も幼少時に村正で手を切った事があったり、大坂の陣において真田幸村が徳川を襲撃した際に家康へ投げつけた刀も村正だったのだとか…。

しかも、関ケ原の戦いの際に家康が指を切ったきっかけになった槍も村正作だったという事から、呪いの刀「村正」は徳川によってすべて破棄され、民間に出回っていたものも隠されたという事です。

妖刀村正の伝説は、妖刀と呼ばれるにもふさわしいものだったんですね。

徳川家が村正に呪われている?

また、徳川家だけではなく徳川幕府自体もこの刀に呪われているという話が残っており、慶安の頃に由井正雪によって計画されたクーデターが発覚した時に正雪が所持していた刀も村正でした。

そして幕末に西郷隆盛など倒幕派の人間が多く所持していたのもまた村正だったということで、村正には何か不思議な力が宿っていると恐れられていました。

しかも、それだけには留まらず歌舞伎の世界でもこの刀は妖刀として扱われ、

  • 寛政9年に初演された『青楼詞合鏡』
  • 万延元年初演の『八幡祭小望月賑』
  • 明治21年初演の『籠釣瓶花街酔醒』

などにおいて村正は重要な役どころを得て、世間一般に妖刀として語り継がれています。

そして、それらの伝説化した物語以外にも昭和に入ってからも色々な逸話が残され、戦前東北大学の物理教授・本多光太郎氏が刃物の切れ味を測定するための機器を造り、様々な名刀を研究室に持ち込んだことがありました!

しかし、その際村正だけが測定器の数値が一定せずムラのある数値が出たため教授は「これが本当のムラ正だ」と普段冗談を言わない教授が冗談を言ったという話が残っています。

くだらない話のような気もしますが、これは科学雑誌『ニュートン』にも掲載され話題となりました。ちなみに「村正」が登場すると、たびたび現れる名刀「正宗」は村正と師弟関係にあったとも言われています。

村正の伝説は嘘?本当?

このような事実もあって妖刀と恐れられている村正なのですが、その真実のほどは未だ不明です。

名古屋にある徳川美術館のFacebookでは、村正の伝説は創作であると断言しています。その理由とは、「実際に家康は村正の刀を所持しており、遺品としてこれまで大切にされてきたから」なのだそうで、徳川美術館にもちゃんと保管されています。

 

それにしても村正を持っている人が多すぎですよね。調べてみるとどんどん気になることが出てきます。今でも人気を集める村正は本当に奥深いものなのでした…。

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