登山は人を惹きつける魅力に溢れていますよね。
とくにエベレストを始めとする世界の名峰は、地上でももっとも危険な場所であるにもかかわらず、登山に挑戦する人は跡を絶ちません。
その中でも難易度が高く、人食い鬼が名前の由来とさえいわれているのが「アイガー」です。
その高さは3970mと富士山とさほど変わらないように見えますが、本当の恐ろしさは岩壁にあります。アイガー北壁は高さ1800mの切り立った岸壁で、グランドジョラス北壁、マッタ―ホルン北壁とともに困難なルートとして知られ、アルプスの三大北壁と呼ばれています。
ユングフラウ三山のひとつでもあるアイガーの難易度はエベレストほどではないにしろ、世界の危険な山としてよく名前があがるくらいなんです。
アイガーの登山は本当に危険!
アイガーの北壁に人類で初めて挑んだのが1934年、W・ベックとG・レーヴィンガーというドイツ人によるものでした。その挑戦は果敢なものでしたが、2900m付近から滑落死してしまいました。
北壁の初登頂に成功したのは1938年のことです。ドイツ人とオーストリア人の計4人で構成されたパーティが、4日かけて偉業を成し遂げたのです。
しかし、この初登頂までの間に9人もの命が失われました。
中でも1936年に起こったヒンターシュトイサーたちの死は、救助隊がいた場所からわずか数メートルという距離で息絶えたこともあり、登山史上の悲劇として知られています。このヒンターシュトイサーの悲劇は、のちに映画化もされました。
そして今でもアイガーに挑むものは少なくなく、今に至るまで60名以上の死者を出しています。アイガーの美しい山並みは、同時に過酷な歴史そのものでもあるのです。
アイガーの北壁で起きた悲劇はさらに・・・
アイガー北壁は1934年から1958年の間に25回の登頂が行なわれ、そのうち13回の合計67人が登頂に成功しています。
1957年にはアイガー登山の歴史の中で、初めての救助活動が行なわれました。そこでもまた悲劇が起こりました。
アイガー北壁で2名の登山隊2隊4名が遭難し、助かったのはコルティー隊員一人だけ。
そこでの悲劇は、ロンギ隊員の遺体はザイルにぶら下がったままで、2年間もの間放置されてしまったことです。遺体を山から降ろすことは不可能であるとの判断からでしたが、2年間ロンギ隊員はマスコミの恰好の取材対象とされてしまったんです。
ロンギ隊員の遺体はオランダの出版社の出資によってようやく回収することが可能に。この出版社は回収の模様を独占中継しようとしたのですが、さすがにそれは阻まれました。
ドイツ隊の二人の行方が分からなかったことから、コルティーが自分が助かりたいがために二人のドイツ人を墜落させたとの憶測が飛びました。4年後に遺体が発見されると二人は疲労のために死亡したことが明らかになり、コルティーの名誉は回復されたのです。
イモトアヤコもアイガーの登山に挑戦!
お笑いタレントのイモトアヤコさんは「珍獣ハンター」からもはや「登山家」になりつつありますね。すでにお笑い要素がオマケみたいになっています(笑)
なぜアイガーが話題になっているのかというと、「世界の果てまでイッテQ!」という番組の企画でアイガーに登山をするからですね。
イモトさんは番組内でキリマンジャロやマッターホルンなど多くの登山を成功させていますが、「アイガーは企画でやるような場所ではなくて、本当に危険だからやめてくれー」という視聴者の声も多かったんですよね。
9/25夜7:00からはイッテQ登山部アイガーSP!見てちょ pic.twitter.com/ttKUUwV3uA
— イモトアヤコ (@imotodesse) 2016年9月22日
幸いニュースにはなっていませんし、Twitterでも元気に更新されているので無事に終わったようです!登山の結果が気になるところですね。
追記:無事登頂成功していました!
下山はヘリコプターでしたが、アイガーを登山する姿をみてちょっと感動。歩く足場もほとんどない上に踏み外したら即終了という恐ろしいところで、自分じゃ絶対登れないなぁと感じましたね!